起業家・経営者

成田修造(成田悠輔-弟)の学歴・経歴プロフィール!起業したきっかけも調査!

成田修造さんがYouTubeやテレビで面白いと話題です。

イェール大学助教授「成田悠輔」博士の弟で、㈱クラウドワークスの「取締役執行役員」兼「CINO」として会社を運営している成田修造氏(なりた しゅうぞう)氏。

兄の成田悠輔氏は、東京大学経済学部(東大)を主席で卒業し、マサチューセッツ工科大学の(MIT)博士課程(PhD )を修了した天才。

そこで今回は、

  • 成田修造さんの生い立ちや家庭環境。
  • 幼少期から中学・高校・大学はどこに通っていたのか?
  • 起業を志したきっかけ。
  • 学歴(偏差値)・職歴・経歴について。

 

について詳しく紹介しますのでお楽しみに!(以下、敬称略)

成田修造の学歴や生い立ち

成田修造の経歴
  • 誕生日:1989年7月3日
  • 出身地:東京都北区
  • 身長:182cm
  • 高校:城北高等学校
  • 大学:慶應義塾大学経済学部
  • 職業:株式会社クラウドワークス 取締役執行役員 兼 CINO

成田悠輔さん弟、成田修造は1989年東京都北区で生まれました。

成田修造を紹介しているYouTubeがこちら。

【ひろゆきvs成田悠輔の弟】不幸は「楽しもう」•••磯野家vs成田家【30代で上場企業の役員】

成田修造の出身小学校

成田修造さん兄の成田悠輔博士と同じ地元の北区立滝野川小学校に入学。

兄の成田博士は、睡眠障害というハンデを持ちながらも金八先生のように親身に接してくれる担任に出会ったんだとか。

修造さんの兄は小学生の時に経済なんかの新聞記事を切り抜いてレポートを先生に提出してた異才。

しかし、成田悠輔博士の才能を高く評価して真剣に話を聞いてくれた先生と出会った事が、兄のその後の人生になんらかの影響を与えたのかもしれない

と修造さんはYouTubeで語ってます。

兄の天才エピソードも驚きましたが、別のインタビューでは、弟の成田修造さんも凄いをお持っています。

小学生の時から日本国憲法の冊子持ち歩き、学校の先生が変な事を言ったら「この条文にひっかかってますよ!」と揚げ足をとっていたんだそうです。

修造さんもお兄ちゃんの影響を色濃く受けていたんですね。

成田修造の中学・高校はどこ?

成田修造の出身中学

城北中学校(仮)=偏差値67~69(難関)

兄の成田悠輔は私立の名門「麻布中学校」に進学。

詳しいことは不明ですが、成田修造さんも中学から私立へ進学したとすると城北中学に進んでいたのかもしれません。

小学生・中学生まではバスケットボールをしていたスポーツ少年でしたが、中学2年の時に父親が失踪し家計が火の車に。

修造さん曰く、お父様は兄の成田悠輔と似たようなタイプで「思想家で社会不適合者」なんだそうです。

修造さんによると、父は「打たれ弱いタイプで、上司や仲間に注意されたり批判されたりすると耐えられなかったんだろう」と分析しています。

兄の成田悠輔さんと同じく、父親も麻布中学・高校出身だったので地頭は良かったはずです。

父親世代の麻布の同窓生の話を聞くと、お父様はかなり変わった価値観の持ち主だったそうです。

父は体が強くなく会社も休みがちで家にいることが多かったので、4歳年上の成田悠輔さんは父親と過ごす時間が長かったそうです。

父親と過ごす時間が長かったこともあり、兄の悠輔さんは父の思想主義や考え方の影響を強く受けたんだろうと語ってました。

しかし修造さんが中学2年の時に事件が起きます。

なんと、父親が突然「失踪」してしまったんです。

家のローンと中学生と高校生の子ども2人を置いて大黒柱の父が突然「失踪」してしまい、家計は少しづつ崩壊していきました。

成田修造の出身高校は城北高等学校

城北高等学校=偏差値69(難関)

城北高校は早稲田や慶應義塾大学に毎年約100人合格者を出す男子校。

都内屈指の進学校で成田修造さんもこの城北高校出身です。

進学校に入学した修造さんですが、順風満帆な学生生活は長く続きませんでした。

中学2年の時に父親が失踪した後さらに不幸が重なります。

高校2年生のとき、母がくも膜下出血で倒れてしまうんです。

幸いお母様は一命を取り留めたものの、このとき心に深い傷を負った修造さんは「家族のピースがまた一つ欠けた」と語ってます。

「父親の失踪」「母親の病気」を経験した事により、修造さんに変化を起こします。

「もっとしっかりしなきゃいけない」、「もっと自分で自立していかなきゃいけない」と強烈な自我が芽生えたそうです。

そんな時、落胆した修造さんを立ち直らせたのが兄である天才「成田悠輔」。

兄の影響を受けて、「年間で本100冊、映画100本をノルマ」にし高校時代から東京大学の講義を受講したり、知識人の講演を聞いたりして知識を深め経営に興味を持つようになりました。

成田修造の大学

兄譲りの秀才で、受験勉強では特に苦労せずに2008年に慶應義塾大学経済学部に進学。

慶應義塾大学経済学部:偏差値67.5(超難関)

ちなみに大学受験を1つのゲームとして考えていたので、受験勉強も苦ではなかったんだそうです。

こちらの動画の10:00~から大学受験について語っています。

大学受験をゲームとして考え、レースとして考えてどうやったらクリアできるかと考えて取り組んでいたのでで受験は楽しかったんだとか。

ご自身は優秀ではないと語ってますが、慶應義塾大学経済学部に合格してますからやっぱり「優秀」です。

独学で慶應義塾大学に合格したものの兄と違って自分は努力が必要なタイプと謙遜されています。

慶應大学ではいろんなサークルに参加したものの、いまいち興味をもてませんでした。

成田修造の職歴

成田修造さんは慶應義塾大学経済学部在学中に、学生でありながら起業しています。

どんな大学時代を過ごしてきたのか気になりますよね。

大学時代に起業した成田修造さんですが、起業を志したきっかけは何だったんでしょうか?

成田修造が起業したきっかけは?

慶應義塾大学経済学部に入学し複数のサークルに参加したものの、いまいち興味が持てなかったそうです。

しかし、ビジネスコンテストを運営する学生団体に参加して運命が大きく変わります。

そのサークルには、㈱ユーグレナの出雲 充(いずも みつる)社長や、ラクスル㈱の松本恭攝(やすかね)さんなど凄い先輩が多数在籍していました。

偉大な先輩が在籍していたサークルには、ベンチャー企業や起業に興味を持っている学生が多く集まっていたんです。

慶應義塾大学入学した当時は、まだ具体的に自分が起業するまでのイメージを抱けなかった修造さん。

彼は大学2年生の夏にインターンとしてアスタミューゼ株式会社で働きはじめます。

アスタミューゼ㈱ではオープンイノベーション支援サービス「astamuse」の事業企画を手掛けた他、大手人材紹介会社との提携事業を立ち上げ、サイトディレクション、Webマーケティング等を担当しました。

そこで3か月位インターンとして在籍していた当時から、大学生の視点かもしれませんが積極的に会社に提言していたんです。

そんな成田修造さんの熱意をくみ取り、アスタミューゼの社長から

そこまで言うんだったら「学生としてアルバイトとしてやるんではなく、もう少し本格的にやりたいないか」と誘われました。

それがきっかけで大学2年生の時に、慶應大学に通いながら正社員として160時間働く生活を過ごしていたんだそうです。

アスタミューゼ㈱では、大学2年から1年半~2年位働きました。

学生ながら正社員も顔負けする働き方をしていた修造さんは、大学3年の時に大きな挫折を味わいます。

大学入学当時から起業を志していたものの、先輩との社会人スキルやビジネススキルに大きな差を感じ、目標としていた「上場」まで会社を成長させることが困難だったこともあり、「起業」や「経営」の難しさを身を持って体感したと語ります。

 

上場を目指していたこの会社で働き続けて役員を目指すか、それとも自分で起業するのか悩んだ結果、自分でやりたい気持ちが勝り「自分で起業しよう」と決断したそうです。

その後、慶應大学3年生のとき株式会社アトコレを設立し、代表取締役社長に就任。

この会社は社名のとおりアート作品の解説まとめサイト「atokore」の立ち上げやiPhoneアプリ開発などを行う会社。

当時は事業のニーズがあまりなく1年位、試行錯誤しましたが、約1年位で代表者から退きました。

代表を退いた理由として

  • 開発力もなく上手くプロダクト(製品)を作ることが出来なかった
  • 資金の不足

 

の2点が理由だったと語ってました。

若く優秀な経営者であるほど、打開が困難と思われる状況で撤退できなくて「ずるずる」引き延ばしてしまう事が多いそうです。

要するに「引き際」を見誤って泥沼にはまるケースが多い。

しかし、成田修造さんは自分が初めて起こした会社の事業から、たった1年でスパッと身を引きます。

引き際の潔良さも修造さんの才能であり、結果として運も引き寄せました。

この撤退がきっかけとなり時間が生れたことで、2012年に株式会社クラウドワークスに参画することになりました。

㈱クラウドワークスとはどんな会社?


㈱クラウドワークスの創業者は吉田浩一郎氏

代表取締役社長 兼 CEO吉田 浩一郎

吉田社長は東京学芸大学卒業。その後パイオニア、リード エグジビション ジャパンを経て、株式会社ドリコム 執行役員として東証マザーズ上場を経験した後、独立。

㈱クラウドワークスを創業した経緯

アジアを中心に海外へ事業展開し、日本と海外を行き来する中でインターネットを活用した時間と場所にこだわらない働き方に着目、2011年11月、株式会社クラウドワークスを創業。

クラウドソーシングサービス「クラウドワークス」を立ち上げ、日本最大級のプラットフォームに成長させました。

 

日経ビジネス「日本を救う次世代ベンチャー100」選出、著書に「クラウドソーシングでビジネスはこう変わる」(ダイヤモンド社)、「世界の働き方を変えよう」(総合法令出版)
「クラウドワーキングで稼ぐ! ―時間と場所にとらわれない新しい働き方(日経新聞出版社)」などがあります。

㈱クラウドワークスの創業者は吉田浩一郎氏の著作

クラウドワークスでの職歴

クラウドワークスでの職歴
  • 2014年8月、同取締役に就任
  • 2015年4月、同取締役副社長に就任
  • 2020年10月、同取締役 兼 CINOに就任
  • 2022年4月、同取締役執行役員 兼 CINOに就任

 

2022年10月現在は㈱クラウドワークスの取締役執行役員 兼 CINO。

修造さんはクラウドワークスの吉田浩一郎社長は、まだ学生だった自分の「熱意や事業に失敗した経験を買ってくれたのではないか」と語っています。

㈱クラウドワークスの業務内容

㈱クラウドワークスの仕事内容を簡単に説明すると

  • 個人のワーカーさんがオンライン上で仕事を受けて(受注)
  • マッチング受注された仕事を納品
  • 代金を受領してお金を稼ぐ

今まではオフィスにいて仕事を受けていたものを、インターネットの出現により個人軸にした新しい働き方を実現できるプラットフォームを提供するといった感じです。

場所や時間を選ばず仕事を受発注できる環境を提供する会社という事です。

㈱クラウドワークスが成功した要因

クラウドワーキングサービスは他の会社も参入していた事業ですが、㈱クラウドワークスが成功した理由としてサービス本格的を提供する以前に仕事を受け持ってくれるプロを確保した事だと語っています。

実際サービスをはじめて、仕事を任せたくても受注できるワーカーさんがいなければ業務が成り立ちません。

だから、多くのワーカーを事前に囲い込んでいたことが成功できた大きな要因の一つだったんだそうです。

まとめ

今回は成田悠輔博士の弟で、㈱クラウドワークスの取締役執行役員 兼 CINOである成田修造さんをとりあげました。

成田さんの育った壮絶な家庭環境、父と兄の影響を受けながら大学時代から事業に関わってきた成田修造さん。

特殊な環境で育った修造さんは、普通の人が大学で学ぶ事を高校時代に経験し、大学時代は殆どの時間をビジネスに関わり大学時代に社会人5年目位の経験を積んでいたと語っています。

慶應大学に在籍中は、月曜~金曜は単位が取り易い授業を受講し、土曜に単位が取りにくい授業を集中して聞いてたそうです。

試験日の時は有給休暇をとって乗り越えながら慶應義塾大学経済学部を卒業した成田修造さんは、普通の学生より3~4年早く物事を先取りして経験していた感じと振り返っています。

そんな経験をお持ちなので、若くして上場企業の取締役執行役員 兼 CINOを務めるまでに至ったんでしょうね。

成田兄弟が共通して苦手なことは、朝に弱い事なんだそうです。

睡眠コントロールが旨くできないのは辛いことでしょうが、

そんなことは微塵も感じない位の結果を出している天才「成田兄弟」から、これからも目が離せませんね。

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