起業家・経営者

元谷外志雄(アパグループ代表)の学歴・経歴|大学・高校の偏差値と年収・資産も調査!

アパグループ会長の元谷外志雄(もとやとしお)さんが話題を集めています。

奥様である元谷芙美子さんをAPAホテルの社長に就任させ、自ら陰で演出しているのは有名な話。

トレードマークの帽子や奇抜ファッションで注目される妻と一緒に、売上高1,000憶、純利益200億円を超すアパグループを作り上げた超一流の経営者。

しかも、アパホテル(グループ)は51年連続赤字ゼロという超優良企業なんです。

社長(元谷芙美子さん)に注目が集まりがちですが、今回はアパグループ代表(会長)である元谷外志雄さんの

  • 学歴・経歴・プロフィール
  • 出身大学・高校の偏差値
  • アパグループの沿革(変遷)
  • 年収や資産・貯金・自宅

など具体的に紹介します!

元谷外志雄(アパグループ会長)の学歴・経歴プロフィール

アパグループ会長のプロフィール
  • 名前:元谷 外志雄(モトヤ トシオ)
  • ペンネーム:藤誠志
  • 生年月日:1943年6月3日
  • 出身:石川県小松市
  • 高校:石川県立小松高等学校
  • 大学:慶應義塾大学経済学部通信教育部(中退)
  • 職業:アパグループ会長(代表)

 

元谷外志雄さんは1943年に石川県小松市で6人兄弟の4番目にあたる長男として誕生。

太平洋戦争が終戦したのが1945年8月15日ですから、元谷さんは戦中・戦後の厳しい時代に幼少期を過ごしました。

食べるのが精いっぱいの時代だったので、元谷少年は子供の時から父の事業を手伝って育ちます。

元谷外志雄の父と仕事

元谷さんの親父は木工所を経営しており、戦時中は船の舵輪をつくる軍需工場を稼働。

戦後は桐箱や桐ダンスを作る工場に民需転換し、最盛期には100人ぐらいの従業員を雇う会社に成長させました。

働き者の父でしたが、激務が重なり体を壊してしまいます。

元谷少年が幼稚園に入る頃から入退院を繰り返し、病院と家とを行ったり来たりを繰り返す生活が続きます。

父は家で食事をするときも家族と同じちゃぶ台ではなく一人で食べ、食事中も新聞を置いて読んでいました。

元谷少年はそんな父を見て育ったので、親父というのはこういうものと思ったそうです。

病気がちの父が入院していた時、オレは長男だからと父を真似て新聞を読み始めます。

しかし子供には難し過ぎて分からない言葉ばっかりで悔しく思い、元谷少年は小学5、6年時に現代用語の基礎知識を購入。

意味が解らない言葉があれば、辞書代わりに本を開き調べて読んているうちに、現代用語の基礎知識に載っている個別の内容に興味が湧いてきたんです。

本に分類されている、政治、経済、軍事、医学、哲学等と見ていくうちに楽しくなり、初めのページから関心を持って読むようになりました。

現代用語の基礎知識を読み込みんだ元谷少年は、新聞や書籍を熟読することで常識力の基礎を身に付けたんです。

入退院を繰り返していた父は病気で働けなくなりましたが、工場という資産がありました。

現場で働けなくなった父は、病弱の自分ができるように工場(資産)を細かく仕切って貸し間に転換したんです。

工業から不動産賃貸業に事業転換した父は、まだ小学生だった元谷少年に仕事を与えます。

貸間の入居者募集チラシを貼りに行ったり、集金に行ったり、雨漏りを直したり、屋根に防水の為にコールタールを塗ったりと良く働きました。

◆コールタールとは

石炭の高温乾留で得られる黒色の油状液体。ベンゼン・トルエン・アントラセン・石炭酸・クレゾールなどを含む。木材の防腐塗料、染料・火薬・溶剤などの原料にする。引用:コトバンク

小学生の時に経験した賃貸業が、現在APAグループが営んでいる不動産業の基礎になっています。

元谷外志雄の出身小学校・中学校

元谷少年が通った小学校・中学校ですが、情報がないので詳細は不明。

恐らく地元の石川県小松市の小・中学校に通学していたと思われます。

元谷少年が学校に通っていた時には太平洋戦争は終わってますが、戦後復興中でまだまだ貧しい時期でした。

元谷少年が小学校低学年の時(1950年6月)、北朝鮮が38度線を越えて韓国に攻め始めたました。

朝鮮戦争が始まった1950年~1952年の3年間(朝鮮特需)で、日本は本格的に戦後復興を果たすキッカケを掴みました。

中学2年生の時に父親が亡くなります。

元谷外志雄の出身高校・大学

高校は地元の進学校に進学しました。

元谷外志雄の出身高校

元谷さんは地元石川県の最難関高校の一つである、石川県立小松高等学に進学。

石川県立小松高等学校=偏差値68・69(難関)

地元の進学高に通っていたので大学進学も考えましたが、父が亡くなった事もあり1日も早く稼ぐ必要がありました。

一家の主(長男)として家計を預かる責任があったんです。

彼は経営者として事業を拡大する為、資金の流れをしっかり把握しておく必要があると考えてました。

そして事業拡大させるには金融のメカニズムを勉強することが必須と考え、地元の金融機関に就職する事にしたんです。

そうした事情もあり、働きながら通える大学に進学します。

元谷外志雄の出身大学

元谷さんは働きながら学べる慶應大学の経済学部通信教育学部に進学します。

慶應大学経済学部通信教育部=偏差値60~72.5(通学課程の偏差値)(難関)

慶應義塾大学の通信学部は、慶応大学の一般の学部に比べて入学するのは比較的安易です。

日本の大学(特に私立文系)は入学するまでが大変で卒業するのは簡単と思われがちですが、同学部は勉強しないと単位がもらえず卒業できません。

中学2年生の時に父を亡くした元谷さんは、学生の身ですが一家の大黒柱でもあります。

働きながら学業を続けるのが難しくなり、慶應義塾大学を中退しました。

元谷外志雄(アパグループ会長)の職歴

元谷外志雄さん地元の信用金庫である、小松信用金庫(現:はくさん信用金庫)に入庫。

信用金庫で取引先の現状や課題などについて聞くことで、自分が将来どんな事業をすべきか学べました。

ヒアリングをして気付いたのは、参入する業態により市場規模に限界があるという現実。

一定の需要しかないもの、例えば市場規模が100億円の事業があるとします。

市場規模が100憶円ならば、どんなに創意工夫してもそれ以上は業績を伸ばせないということです。

それならば、無限の市場規模があるものは何か?、最も客単価の高い事業は何か?など規模が大きくて安定的に稼げる事業について考えました。

当時の日本は戦後復興期でしたから、良い家に住む事は多くの人の目標の一つでした。

人の夢に手を貸しながら、なおかつ市場規模が巨大な住宅産業に参入するのは良い考えだと閃いたんです。

その当時の住宅産業は町の大工さんや工務店が多く、規模の大きい会社は殆どありませんでした。

なんで市場規模が大きい住宅産業に企業が参入してないかを調べると、資金がボトルネックになってる事に気が付きます。

元谷外志雄が起業したきっかけは父親?

自分が動けなくなった父は、病弱の自分ができる事業は何かと考えました。

父は入退院を繰り返していたので、そういった状態でも運営可能な仕事を探しいたようです。

既に工場という資産を持っていたので、それを活用して不動産賃貸業を始め家族の危機を乗り越えたんです。

小学生だった元谷少年は父の命令で、貸間の入居者募集チラシを貼りに行ったり、集金に行ったり、雨漏りを直したり、屋根に防水の為のコールタールを塗ったりと懸命に働いたんです。

お気づきかもしれませんが、危機を打開するために参入した不動産賃貸業が元谷少年の生業となり、現在アパグループが経営している不動産業の基礎とになったんです。

アパホテル社長「元谷外志雄」の著書

元谷外志雄さんは「藤誠志」というペンネームで執筆しています。

元谷外志雄の書籍はこちら

  • 報道されない近現代史
  • 事業はロマン 単行本 
  • 誇れる祖国「日本」 真の近現代史を読み解き、民族の誇りを取り戻せ 
  • 誰も言えない国家論
  • 異端児の哲学 快刀乱麻 自らの世界観で時代を駆け抜ける男」
  • 本当の日本の歴史 理論近現代史学
  • 本当の日本の歴史 理論近現代史学II

 

元谷外志雄(アパグループ代表)の年収や総資産はいくら?


元谷外志雄さん(以下敬称略)はアパホテルを含む「アパグループ」の代表。

日本を代表する企業の創業者がどれくらい稼いているか想像つきますか?

APAホテルは確かによく見かけるけど、たかが「ホテルチェーン」とか侮らないでください。

年収は驚愕の33億円。
総資産は2,200億円。

元谷外志雄さん(アパグループの代表)の年収は33憶円で、総資産は2,200億円と言われています。引用:週刊現代(2012年12月5月9日)

少しデータは古いですが、年収も総資産も桁違い過ぎて想像できません。

そんな、誰もが羨む成功を収めた大富豪のアパグループ創業者で会長の元谷外志雄さん。

アパホテル社長の自宅(豪邸)の画像は?

さて、それではアパホテル元谷ご夫妻の自宅は一体どんな豪邸なのでしょうか?

アパホテル社長の元谷外志雄社長邸

東京都港区在中のご夫妻(これ以上はあえて表示しません)

マンション業やホテル業を営んでいるアパグループの代表と社長夫妻の自宅は、当然ながら大豪邸のはず。

調べてみたところ、元谷夫妻のご自宅は港区の超高級住宅地にありました。

想像以上に大きな屋敷で、リビングの広さは100畳もあり、3階建て8LDKもある大豪邸。

東京都港区にある、アパホテル社長夫妻のご自宅の値段は推定15億円!

フェラーリや、ベンツなど超高級車を複数台所有し、アパ御殿に住むセレブです。

これだけの年収や資産があれば、もう何ももしなくても暮らしていけるのは間違いないでしょう。

それでも、まだ現役で働き続けてているという事は夫婦ともに仕事が好きなんでしょうね。

まとめ

今回はAPAグループ代表(会長)の元谷外志雄さんを紹介しました。

創業してから一貫して黒字経営を続けているアパホテルを含むAPAグループの代表として会社を率いてきた元谷代表。

今は日本国内だけでなく海外にもホテルを展開しています。

◆APAグループ事情内容

  • 都市開発(マンション、ホテル、テナントビル、アーバン・リゾート)事業
  • 総合建設(企画、設計、建設)事業
  • 総合不動産(開発、売買、仲介、賃貸、鑑定)事業
  • ホテル・チェーン、レストラン・チェーン、レジャー産業運営事業
  • 不動産証券化事業
  • 総合ビル管理事業
  • 月刊「アップルタウン」発行

 

◆グループ会社

  • アパホールディングス株式会社
  • アパホテル株式会社
  • アパ株式会社
  • アパホーム株式会社
  • アパマンション株式会社、
  • アパ住宅株式会社
  • アパサービス株式会社
  • アパグループ株式会社、
  • アパ総研株式会社
  • アパコミュニティ株式会社
  • 日本開発ファイナンス株式会社
  • アパリゾート株式会社
  • 株式会社ホテルグリーンドゥ
  • MITコーポレーション株式会社
  • 日本ホテルマネジメント株式会社
  • 西日本ホテルマネジメント株式会社
  • アパリアルエステート株式会社
  • APA Hotel International Inc.
  • APA Hotel Canada Inc.
  • Coast Hotels Ltd.

 

幼少期から家業を手伝い経営者としての基礎を身に付けてきた元谷外志雄さんは、複数の事業を展開し、多くのグループ会社を束ねる総合企業にまで成長させました。

元谷代表は元気な内は現役でAPAグループを率い続けるでしょうから、まだまだ私たちを楽しませてくれそうですね。

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